女子大生のひとりごと

三度のご飯とスイーツが好き。

みんなそうだと思えば

怠けそうになった時は、「みんなそうだ」と思う。

そうすれば、みんなよりも良い結果を出すためにここを乗り越えなければという気になる。

勉強をサボりそうになったときも、ダイエットしてるのにお菓子をもうちょっと食べたいときも、バイト休んじゃいたいときも、「みんなそうだ」って言い聞かせる。

ここで負けちゃだめだって。

あともうひと頑張りだよ。

 

消費することについて

最近、消費するということにためらう瞬間が増えてきた。

サブスクで音楽を聴く、ネトフリやアマプラで映画を観る、本や雑誌を読む、おいしいものを食べに行く、旅行に行く、服を買う、ウーバーイーツを頼むなどは、現在大学生である私が思いつく典型的な「消費」行動だ。

その他にも、語学その他の資格を取る、何かの勉強を始めるといったことも、「消費」なのではないかと思うようになった。就職で有利だからという情報によって、英検やTOEIC、簿記、秘書検定などの資格試験に臨む人は多いが、それは不安という感情によって促されている行動だと思う。一回受けるのに安くはない金額を払って安心を得ること、それが「消費」なのではないか?とか。

消費は決して悪いことではないはずだ。欲しいワンピースやバッグを買うために仕事を頑張るモチベーションになることもあるし、上記娯楽を楽しみに何かを頑張ることができる人は多いのではないだろうか。

でも、一生それでいいのだろうか?という疑問も最近は感じるようになってきている。
資本主義の思うつぼにはまっている感がなんとなく嫌だという感情もあるし、消費を目的にし続ける人生ってどうなの?って思ってしまう時がある。きっとそれもアリなんだけど、なんとなく虚しいと感じる。だって自分では何も生み出すことがないから。

このまま就職して、デスクワークをして、仕事が終わったら疲れて「消費」して満足して寝て、ずっとそれの繰り返しなのかな。こういう人生を、私が好きなブロガーさんは「綺麗な人生」と書いていた。たしかに、これほどシンプルな人生は理想的なのかもしれないけれど。

「消費」の対称にあるのはおそらく「生産」「創造」とかだと思う。何かを自らの手で生み出すということ。ストレスを発散したり疲れを癒したり、あるいは休日の過ごし方として、「消費」をする人と、「生産」「創造」をする人がいるとしたら。おいしいごはんやスイーツを食べる人と創り出す人。YouTubeを見る人と創り出す人。服を買う人と創り出す人。音楽を聴く人と創り出す人。人として面白いのは後者ではないかなぁと思うし、私は後者になりたいって思う。

着地点を見失っているけれど、人としての魅力を高めたいと思うならば、消費してばかりじゃだめなんじゃないかってことかもしれない。オシャレな服を着て、髪を染めてパーマかけて、きれいな靴を履いて、カフェを巡ったり旅行に行ったり映画を観たり、そうして充実した人生の一部としてSNSにアップする大学生に感じる違和感はたぶんこれ。私も例外ではないけれど、こういう人に中身があるのか魅力があるのかと言われれば、それはわからない。自発的に旅行に行って、そこに興味のある何かがあるならばそれは創造に近いのかもしれないけど、SNSを見ればみんな旅行に行ってるからって、自分も充実したくて、真似して旅行して得られるものってどのくらいあるのだろうか。そんなん誰でもできることで、その他大勢と一緒では?とか。人生の楽しみが消費であることの虚しさってそこなのかもしれない。自分の軸とか中身を持ちたいなら、自分の頭で考えて、それは本当に必要か?って自問自答し、本当に興味のあることとか、本当に欲しいものだけのために情熱や時間をかけるべきだと思う。

という脳内整理でした。着地。

自分にはどうにもできないことってあるじゃん。病気とか、障害とか、経済的なものの問題とか。そういうものを抱える人に対して厳しいんだよな。もちろんできないことが多いから、社会のことを考えるとそういう扱いを受けるのは仕方のないことかもしれないけど、努力じゃ病気も障害もどうにもならないんだよ。目に見えるものはまだわかりやすいけど、ぱっと見他人からわからないようなものならなおさら。自己責任で片付けられやすいから、その人の生きづらさなど誰にも理解されない。そういう人が生きづらい世の中、じゃあどうやって生きていけばいいの?自己責任じゃあないんだよ誰もなりたくてなったわけじゃない。結局初めから病気も障害もなくて、お金に困っていなくて、スタート位置から勝ち組の人がうまく生きていける社会だね。

 

と書きなぐっておきながら、でも仕方がないです。

絶対にやりたいことってなんだろうな。それがあることがよしとされている世の中であるけれど、それがあるために葛藤することも多いし。

私は留学したい。絶対に。留学できなければ生きている意味も半減するくらいに留学に行きたい。どうしてこんなに執着しているのか自分でもわからない。
ただ、長い間留学に行きたいと思い続けていることだけは確かで、これほど強く長く持ち続けていることも私にしては珍しいから、実現させたいと思っている。

中学生の時は、交換留学に行きたいと何度も親に言ったけれど、受け入れることができないからだめだと言われた。親が忙しかったから。私が親の立場だったらどんなに忙しくても受け入れてあげるのにと思うくらい私は留学がしたかった。
高校生になって、留学のチャンスが増えた。でも私は難病にかかってしまってそれどころではなくなった。悔しかった。
大学生になって、やっと行けると思った。でもコロナで中止に続く中止。もう私は就活を始めなければならない。
このまま就職したら、長期間海外に行くことなどできないだろうか。一旦仕事を辞めるとか、そうでもしないと無理だろうな。
大学生の今、休学してでも行くべきだろうか。家のために一年でも早く社会人になって経済的に自立したいと思っているが。

もうひとつの問題はお金。お金がない。
バイトで貯めようとすれば、学業より優先させてでも働かなければならない。
それでは本末転倒ではないか?
体力も気力もすべてバイトに注いでも、海外に行ける期間は一か月もない。
留学は贅沢で、お金のない大学生が挑もうなんて馬鹿なのかもしれない。

これもすべて、私に留学に行きたいという欲望があるからで、こんなものなければよかったのだろうか?すべて諦めてしまったほうが楽かもしれない。もう葛藤だとか羨望だとかそういうものに飲み込まれてヘイトの塊みたいになっている。

でもやっぱり行きたい。一度行けばこの気持ちも少しは収まると思うから。
みんな留学の費用どうやって貯めてるの?どこから出てるの?
実家が太くないから諦めるって絶対に嫌なんだよ。悔しすぎるから。
賢い方法ないのかなあ。

大学生の将来不安記

数年前にとある自己啓発本を読んだ。
一貫して書かれていたことは、「人生において決して流されてはいけない」「最初に自分で決めた目標に向かって進むべきだ」といった内容だった。自己啓発本というものはどうしてあんなに説得力があるのだろうか、当時高校生だった私は強く感化され、その教えに従い進んできたように思う。やりたいと強く思うことに対しては、周囲の助言も全く聞かず、強引に実現させてきた。

「最初に自分で決めた目標を、周囲に流されることなく強固な精神力で達成する」という考え方と、それに相反する「流されて行き着いた場所で上手くやっていく」という考え方は、きっとどちらが正しいとか良いとかいう答えは無いのだろうが、選択の分岐点に立つときに葛藤が生まれるポイントである。前者についてはそもそも、二十歳前後の小娘に、周囲に流されないだけの明確な将来の目標を持つということ自体が困難ではないかと思うことも多い。さらに今回のコロナのような、予測不可能且つ自分ではどうしようもないような事態に見舞われ、決めた目標が達成不可能になるといったことも十分に考え得る。大学生になった私は、自分の心境や思考や目標といったものは勉強や経験によっていとも容易く変化すること、社会は不安定で変化し続けていくものであるということを学び、少なくとも自分には、前者のようにやりたいことを先に決めるということはほぼ不可能であると考えるようになった。かといって、後者のように、流されて行き着く先が分からないのも不安ではないだろうかとか考えたりもする。若いうちになんとかしないと就けない職業もあるし、なにより何か目標がないと頑張れないし、とか変に焦って、でも何も見つからない。私が知っている前者の例は、幼少期からプロのスポーツ選手になりたいと思い続けて実現させたイチロー、好きなことで生きていきたいと数学教師になった予備校の先生、医師や看護師、薬剤師といった職業に就くためにそれらの学部に進学していった同級生たち。後者の例は、好きなことをして生きていたらYoutuberになれた人々、普通に就職して寿退社する女性、英語が得意でそのまま予備校教師になった人、など。

大学生の狭い視野の中でこんなに頭でっかちに考えたって何も得られないのかもしれないけど、やはり将来の不安は存在し、選ぶ職業で人生が大きく変わると思うと、失敗できないと思ってしまうし考え続けることをやめられない。Twitterで日々目にする、仕事に生活を奪われたような人のツイートがそういう怖さを助長させるのかもしれない。浪人していた時に言われた「仕事をしている時間が人生で一番長いから、退屈でやりたくない仕事よりも好きなことを仕事にしなさい」それはその通りであるが、その見本となる大人があまりにも少ない。そもそも自分の好きなこともまだちゃんと分からない。

結論は出ないのであるが、自分に興味のあることを勉強し、私生活でも好きなことを続けて、その延長にやりたいことや好きな仕事といったものが見つかったら夢のような話ではないか。つまりどちらの考えに舵を切るわけでもなくて、流されつつもやりたいことをその時ごとに考えて努力を続けるということ。勉強し続けるということ。まだ選択の猶予があるうちに、様々な場所に飛び込み経験をすること。

あとこれは反省であるが、考えすぎても行動しなければ何も分からないということ。自己啓発書は信仰対象にしないこと。